
特集
2009-1-9 3:45:22
福島康司物語 Part 4
「みんな、ありがとう」
浅田監督から
「チームには残れない」
と言われたのはツール・ド・おきなわが終わった直後だった。それは浅田監督が康司の性格をよく理解した上での判断だった。
康司は、
「自分では続けたいと思っていたし、他のチームで走ろうかとも考えたけれど、どうしてもそういう気にはなれなくて…。数日後、浅田監督がスタッフとして雇ってくれると言ってくれた。1週間くらい経ってから自転車に乗ってみたけど全く力が入らなくて、走る気持ちがなくなったことを実感した。他のチームじゃ走れそうにないと思って引退を決意した」と振り返る。突然の戦力外通告。
「2005年の自分の成績(ツール・ド・ランカウイのステージ優勝など)を上回る成績を出さないと、中途半端なアシスト選手で残るのは意味がないと思う。浅田監督がこうして引退後の道を作ってくれたことに対して感謝している」
と言葉を詰まらせながら語った。
どのレースが一番印象的だったか聞いたところ、
「ツール・ド・おきなわを最後に走れたことは、すごく幸せだと今でも思っている。(新城)幸也が勝ったしね。(清水)都貴のパリ~コレーズも、幸也のツール・ド・リムザンのステージ優勝も、あの場にいて喜びを分かち合えたのが自分の中では最高だった。昔は昔で懐かしい思い出だけど、今楽しかったと思えるのは、ツール・ド・おきなわやパリ~コレーズだね。アシストしたことに応えてくれて、チームで獲った勝利だから」
と、みんなで手にした勝利をあげた。

また、福島康司と言えばハーモニカの他にも、ポストカード配りが。今まで何枚くらいポストカードを作っているのか聞いてみた。
「チームの公式カード以外にも自分で特別カードを作っているから、合計したら一体何枚くらいか数え切れない。ツール・ド・セルビアで総合優勝した時にシャンパンを開けているカードを作ったのが、特別カードの第1弾かな。それが良いイメージでファンに定着してくれたと思う。ツール・ド・ランカウイのステージ優勝とかマイエンヌの総合優勝でも特別カードを作ったね。僕はこれからスタッフとしてチームに携わって行くから、いいタイミングで特別カードを作れるシステムができたらいいと思う。やっぱり、ファンの人があれも欲しい、これも欲しいと思わせるようなポストカード作りを心掛けたい。ファンの人たちが楽しく応援してもらえるように、いろいろ意見を出していきたいと思っている。」


今後は、エキップアサダの運営会社シクリズムジャポンで『サイクル・ライフ・プロデューサー』として様々なイベントを企画開催していく。
「自転車をしている中学生や高校生を相手に合宿をしたり、彼らのためのプログラムを作ったりする予定。地域のイベントにも参加したりして、いろんな人に自転車の楽しさを知ってもらいたい。自分も今後は楽しみながら走っていきたい」
と抱負を語った。さらに
「これまで選手としての僕を応援してくれたファンや関係者の方々に『みんな、ありがとう』と言いたい。そしてこれからはスタッフとして『ありがとう』の気持ちをみんなが分かち合える自転車文化を築いていきたい」
とファンへの想いを付け加えた。

陸上競技から自転車ロードレースに転向して開花した康司。だがその間には、大きな挫折や出会いがあり、無限の努力があった。
最後に陸上競技と自転車の違いは何か?と尋ねると、
「陸上は才能の部分が大きい。でも、自転車の場合は人間臭いドラマだから、努力とチャレンジ精神で世界でも通用できる。それが大きな違いだと思う」
と、康司。努力とチャレンジ精神、確かに康司に一番似合う言葉だ。
自転車で培った努力とチャレンジ精神で、今後は自転車界の発展のために走りまわってくれることだろう。
Text:IWASA Chiho
Photo:OMAE Hitoshi and Koji's Fan
フォトカテゴリーの「特集 福島康司物語」では本文掲載以外の写真もご覧いただけます。ぜひご覧ください。
→フォト「特集 福島康司物語」
浅田監督から
「チームには残れない」
と言われたのはツール・ド・おきなわが終わった直後だった。それは浅田監督が康司の性格をよく理解した上での判断だった。
康司は、
「自分では続けたいと思っていたし、他のチームで走ろうかとも考えたけれど、どうしてもそういう気にはなれなくて…。数日後、浅田監督がスタッフとして雇ってくれると言ってくれた。1週間くらい経ってから自転車に乗ってみたけど全く力が入らなくて、走る気持ちがなくなったことを実感した。他のチームじゃ走れそうにないと思って引退を決意した」と振り返る。突然の戦力外通告。
「2005年の自分の成績(ツール・ド・ランカウイのステージ優勝など)を上回る成績を出さないと、中途半端なアシスト選手で残るのは意味がないと思う。浅田監督がこうして引退後の道を作ってくれたことに対して感謝している」
と言葉を詰まらせながら語った。
どのレースが一番印象的だったか聞いたところ、
「ツール・ド・おきなわを最後に走れたことは、すごく幸せだと今でも思っている。(新城)幸也が勝ったしね。(清水)都貴のパリ~コレーズも、幸也のツール・ド・リムザンのステージ優勝も、あの場にいて喜びを分かち合えたのが自分の中では最高だった。昔は昔で懐かしい思い出だけど、今楽しかったと思えるのは、ツール・ド・おきなわやパリ~コレーズだね。アシストしたことに応えてくれて、チームで獲った勝利だから」
と、みんなで手にした勝利をあげた。

ツール・ド・おきなわ2008 第1ステージ 雨の中、集団を牽引する。Photo by Hitoshi OMAE
また、福島康司と言えばハーモニカの他にも、ポストカード配りが。今まで何枚くらいポストカードを作っているのか聞いてみた。
「チームの公式カード以外にも自分で特別カードを作っているから、合計したら一体何枚くらいか数え切れない。ツール・ド・セルビアで総合優勝した時にシャンパンを開けているカードを作ったのが、特別カードの第1弾かな。それが良いイメージでファンに定着してくれたと思う。ツール・ド・ランカウイのステージ優勝とかマイエンヌの総合優勝でも特別カードを作ったね。僕はこれからスタッフとしてチームに携わって行くから、いいタイミングで特別カードを作れるシステムができたらいいと思う。やっぱり、ファンの人があれも欲しい、これも欲しいと思わせるようなポストカード作りを心掛けたい。ファンの人たちが楽しく応援してもらえるように、いろいろ意見を出していきたいと思っている。」

TOJ2008 子供達と触れ合う福島康司。Photo by Hitoshi OMAE

TOJ2006 南信州ステージのスタート前、子供達にハーモニカを披露。
今後は、エキップアサダの運営会社シクリズムジャポンで『サイクル・ライフ・プロデューサー』として様々なイベントを企画開催していく。
「自転車をしている中学生や高校生を相手に合宿をしたり、彼らのためのプログラムを作ったりする予定。地域のイベントにも参加したりして、いろんな人に自転車の楽しさを知ってもらいたい。自分も今後は楽しみながら走っていきたい」
と抱負を語った。さらに
「これまで選手としての僕を応援してくれたファンや関係者の方々に『みんな、ありがとう』と言いたい。そしてこれからはスタッフとして『ありがとう』の気持ちをみんなが分かち合える自転車文化を築いていきたい」
とファンへの想いを付け加えた。

2008年レース活動の合間にツール・ド・フランスを間近に体感する。これからは若手選手に夢を託し、スタッフとしてサポートしながらツール出場を目指していくことになる。Photo by Hitoshi OMAE
陸上競技から自転車ロードレースに転向して開花した康司。だがその間には、大きな挫折や出会いがあり、無限の努力があった。
最後に陸上競技と自転車の違いは何か?と尋ねると、
「陸上は才能の部分が大きい。でも、自転車の場合は人間臭いドラマだから、努力とチャレンジ精神で世界でも通用できる。それが大きな違いだと思う」
と、康司。努力とチャレンジ精神、確かに康司に一番似合う言葉だ。
自転車で培った努力とチャレンジ精神で、今後は自転車界の発展のために走りまわってくれることだろう。
Text:IWASA Chiho
Photo:OMAE Hitoshi and Koji's Fan
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